ジョセフィン・ベーカーとグレース・ケリー

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澤田美喜さんが親しく交流した女性たち
の話も、とっても興味深い。

パール・バック、パットン夫人、
マリー・ローランサン

それから、ジョセフィン・ベーカー

白人と黒人の混血で、差別をのがれて
フランスで大成功をおさめた方です。
人知れず、パリのスラムを定期的に
訪れては、貧しい子どもたちに
プレゼントを配り、自分の指輪を
はずして置いていく彼女の姿が、あますところなく、澤田さんの目を通して描かれています。

芸の上では、差別や偏見をはねかえすための死に物狂いの努力。
伴侶に恵まれず、苦労しながら、世界中から12人の子供
たちを養子として迎えるも、その子供たちのことで苦しむ彼女の姿。

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そのジョセフィンと同時代を
生きた女性が
グレース・ケリーでした。

夫が他国の女性と問題を
起こし、ジョセフィンと
子供たち12人の住まいだった
ミランダ城を勝手に抵当に
いれ、債務者にとられたため、
住むところがなくなった
ジョセフィン家族のために、
あたたかい手をさしのべたと
言われています。
当時、モナコ王妃だった
グレース・ケリーは
カップマルタン岬の上にある
美しい家を彼女たち家族
のために用意して、モナコに
迎えたのです。

美しい行為。。。


グレース王妃が会長だったモナコ赤十字社の大きなチャリティ―集会の
出演者だった黒人歌手が、ギャラを持ったまま逃亡し、グレース王妃が
窮地に陥った時には、ジョセフィンがすべての予定をキャンセルして3日間、
王妃のためにすばらしい舞台を繰り広げて、王妃の好意に報いたとも
言われています。

子供たちが20代後半になっても自立できず、子供たちを養うために
働きづめだったジョセフィンは、1975年3月、急死しますが、そのとき、
彼女の死を悼んで、パリ、マドレーヌ寺院での葬儀(国葬)のすべてを
取り仕切ったのもグレース王妃でした。

ジョセフィン・ベーカーは、祖国アメリカでは人種差別のために、最後まで
認められなかったと言われていますが、人の目にふれない場所で捧げられていた
貧しい人たちへの奉仕や彼女の人柄は、澤田さんやグレース王妃の目には
かけがえのない尊いものとして映っていたのでしょう。澤田さんがジョセフィンとの
出会いによって生き方が変えられたとおっしゃるくらいに。

また、グレース王妃の行為も、澤田さんの本の記述によって彼女が亡くなった
あとも残され、知ることができることを感謝したいと思います。

~それゆえ、信仰と希望と愛、この三つはいつまでも残る。
その中で最も大いなるものは愛である。

新約聖書コリント人への第一の手紙 13章13節~

母と子の絆―エリザベス・サンダース・ホームの三十年 (1980年)

沢田 美喜 / PHP研究所


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by clara19 | 2009-03-14 16:21 |