「ほっ」と。キャンペーン

名もない花束~エリザベス・サンダースホームの子供たち

e0141077_1424561.jpg
昨日の夜、TVで
「トンネルの向こうは僕らの楽園だった」が放映されていました。
エリザベス・サンダースホームで
澤田美喜さんに育てられた卒園生の
60年後を追ったドキュメンタリー。

偶然、途中から見たのですが、
特にブラジルで成功して
大地主になったマンマンジョージこと
赤沢ジョージさんの癌で亡くなられる
前の姿には胸を打たれました。

大変だったでしょう?と問われて、
「誰かが成功しなくちゃいけなかった。
ママちゃま(澤田さんのこと)が

あっちでもこっちでも打たれて、打たれて、エリザベス・サンダースホームなんて
出て行け、ステパノ学園なんてつぶしてしまえと言われて、本当にかわいそうだった・・・」



・・・だから、誰かが成功してあげなければいけなかったから、
僕ががんばった。でも、楽しかったよ。一人でがんばるのは
楽しかった。

実の親が僕らを捨てようがどうしようが、そんなこと
どうでもいい。ママちゃまは本当に僕にとって身近な、
本当に頼れる人だった・・・」と話すのを聞いていて胸が
熱くなってしまいました。

本によると、澤田さんの御苦労は並々ならぬものがあって、
子供たちのブラジルへの移住も、試練、試練の連続だったのです。

澤田さんの言葉によると、赤沢さんは、1980年当時、
澤田さんから与えられて、たったひとりで開拓した
土地から、既に年収1700万円を超える収入を得るほど
成功していたのですが、知らない人を家まで送ってあげたり、
病人を病院に連れていってあげたりして、町の人に愛されていることが、
その成功にもまして何よりも嬉しかったのだそうです。

出てくる卒業生のひとりひとりの顔の表情の柔らかさ、
誠実さ、温かさが優しい余韻を残しました。親に捨てられた人の
顔ではなく、愛され、大切にされたことをちゃんと受けとめ、理解
している人の顔がそこにありました。育てた人が何を大切に
していたかを知っていて、自分もそれを大切にしている人の顔でした。

もちろん、昨夜の番組で紹介されたのは、卒業生1400人のうちの
15人にすぎず、多様な人生があったことを御著書は語っているのですが、
それでも、社会の片隅でこんなふうに存在し、感謝しながら生きて
いる人たちがいるだけで、澤田さんの人生も、彼らの人生も
言葉では言い尽くせない感動を残してくれました。。。

外に対しては、どこまでも子供を守りながら、
子供に対しては、決して甘いだけの人ではなかった澤田さん。
「ちゃんと顔をあげて歩け。誇りをもって生きろ。愛される人間になれ。」
と子供たちを励ましつづけたと言われています。

ひとりひとりの幸せを考え抜いた人生だったのだろうと想像します。
澤田さんだからこそできたこともたくさんあったし、澤田さん
だからこそ与えてあげられるものもたくさんあったと思います。

一番大きなものは信仰だったのではないかと思います。

名もない花束
Calling

三菱本家岩崎久弥の長女、外交官夫人としての澤田さんが、この働きに
私財をなげうって身を投じたのは、今の私の年と同じ年です。
今、この番組を見ることができたことを幸せに思いつつ・・・
[PR]

by clara19 | 2009-03-12 14:21 | 日々のできごと