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「プレイス・イン・ザ・ハート」

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1984年にサリー・フィールドがアカデミー主演女優賞をとった
「プレイス・イン・ザ・ハート」と、
1996年にスーザン・サランドンが同じく主演女優賞をとった
「デッドマン・ウォーキング」は、共に聖書が題材に使われている
映画です。

「プレイス・イン・ザ・ハート」

1935年、アメリカ片田舎の保安官の家庭では、朝食前の
お祈りの時間がもたれていました。大恐慌後の誰もが貧しかった時代の
つつましくも幸せな家庭のひとこま。

家庭の主として朝のお祈りをリードする夫は、酔っ払いが暴れている
との通報を受けて、食事もとらずにでかけていって、その酔っ払いの
銃弾をあびて帰らぬ人となってしまいます。

それまで専業主婦として家庭を守ってきたエレナは、家計のことは
夫にまかせっぱなしで、家のローンがあることも知らなかったほどでしたが
それから、家と子供たちを守るため、食事をほどこしたにもかかわらず、
食器を盗んでいった流れ者の黒人モーゼスに、綿を栽培することを
学びながら、また返せないローンの代わりに、おしつけられた銀行家の親戚の
気難しい盲目の男性を預かりながら、不安定な子供たちを守りつつ、生活して
いくことになります。

この寄せ集めのメンバーが、徐々に、それぞれの役割を
果たしながら、ひとつの家族になっていく過程がすばらしい。
未亡人と、流れ者の黒人と、やっかい者扱いされた盲目の男性と、
小さな子どもたち・・・ひとりひとりは弱いけれど、それぞれが
自分の役割と居場所をこの家庭の中で見つけていくのです。

モーゼスは、エレナの家族を精一杯助けたあと、KKKの襲撃にあって
村を去っていきます。

不倫、貧しさ、人種差別、かけひき、竜巻、エレナとそのまわりに
いる人たちを取り巻くさまざまな出来事のひとつひとつが、人と人との関係を
ある時は壊し、ある時は傷つけ、ある時は深めながら、
映画のラストに向かいます。

ラストは本当に素晴らしいの一言。。。。

教会の聖餐式の場面。

「Peace of God」という言葉とともに、次々に、パンと葡萄酒が
まわされていきます。傷つけあった人から人へ、
裏切りあった人から人へ、それから、赦し、それでも愛しあう人たちへ。
意外な人が次から次からでてきて、深い余韻を残します。

「Peace of God」。

このとき、教会で読まれている聖書の箇所は、
新約聖書コリント人への第1の手紙13章。


たとい私が、人びとの言葉や御使いたちの言葉を語っても、もし、愛が
なければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしいにょうはちと同じである。

たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに
通じていても、また、山を動かすほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ
わたしは無にひとしい。たといまた、わたしが自分の財産を人に施しても、また、
自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。

愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない。
誇らない。不作法をしない。自分の利益を求めない。いらだたない、恨みを
抱かない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてを耐える。



デッドマン・ウォーキングについては←の映画名をクリックしてね。

この映画のラストで、死刑を執行されるために歩きだした
パットのためにシスター・プレジャンが読むのは

旧約聖書イザヤ書の一節。


恐れるな、わたしはあなたをあがなった。
わたしはあなたの名を呼んだ。
あなたはわたしのものだ。

あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる。
川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。
あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、
炎もあなたに燃えつくことがない。


パットは、この聖書の言葉を、彼への最後の語りかけとして
受けとめていったと思います。

イエス様の隣で十字架に架けられた強盗の一人が
十字架の上でイエス様に出会い、
心から悔い改めて赦されたように・・・

3年前、Blogを書き始めたとき、一番最初に書いたエントリーが
この映画についてでした。

雨の日曜日。。。

なぜか、このふたつの映画のことを思いつつ過ごしています。
それぞれの映画で用いられた聖書の言葉を思いながら。
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by clara19 | 2008-09-21 17:11 | 映画