神谷美恵子さんの本
2008年 03月 18日
本棚の片隅に
20代の頃から何回も読み返した
神谷美恵子著作集が
並んでいます。
最近、もうひとつのBlogで
紹介するために
「生きがいについて」を
読み返し、また
ときどき、彼女のことを
考えたりしています。
いつだったか、TVで彼女が残した2人の子供の1人、弟の徹さん
(京大で宇宙物理学を修めたのち、古楽器演奏家になる)が
リコーダーとユニークなストロー笛で音楽を演奏しているのを見かけて
神谷美恵子さんがどんな母親だったのか・・・想像できるような
気がして、とても楽しく、また、感慨深かったことを思い出します。
医学博士として、また語学の才能を買われて、
あっちこっちの大学でもひっぱりだこだったにも関わらず、
その心は終生、ハンセン氏病で苦しむ人たちと共にあった
といわれている神谷さんのお仕事については多くの人に
知られているので、ここでは書きません。
大学でも、受講者が900人いても必ず出席簿を読んで
生徒1人1人の名前を読むことで、1人1人と関わりをもとうと
つとめられた神谷さんが、家庭では、子供たちが喜ぶからと
複雑な模様編みなどでセーターを編んでいたと紹介されていたり、
お客様がいらっしゃると、何回も何回もお茶と茶器を変えるために
席をたった姿を知ることができて、私には興味深かったです。
神谷さんが最も愛した長島愛生園での仕事の後継者となった
高橋幸彦医師が共に働いた数少ない1人として
言葉を寄せているのも、印象的でした。
~苦悩を背負った病者を盲人にたとえるならば、先生は盲人
にとって、まさに温かい血が流れる生命のある杖のごとき存在で
誰もが、いついかなる時でも、しっかり握れる杖であった~
~先生との出会いによって、人間として、医師として、先生から
学び啓発されたことは測り知れないほど深く大きいが、凡庸の
私にはうまく表現できない。~
~人は言うかもしれない。先生は学者だ、精神科医だ、すばらしい
婦人だ、人格者だ、と。しかしそれでもなお、先生の全体像を捉えて
いるとは言えないかもしれない。~
人生で、本当の意味で深く関わることのできる人、
その人の人生を変えてしまうほどの影響を与えることのできる人
との出会いは多くはないと私は思います。
その1人に出会った幸せを言葉にできない高橋医師の言葉が
その幸せをかえって私たちに知らせてくれているのではないかと
感じさせられて、心に残ります。夫だった宣朗さんの言葉の
一部もご紹介しておきましょう。
~対外的には悩める人、病める人の側に立ち、対内的には
よき妻、よき母であろうとして、力の限りをつくした生涯であった。
愛生園には通えなくなっても、死ぬまで心は患者さん達と
結ばれていた。~
by clara19
| 2008-03-18 06:30
| 本