神谷美恵子さんの本

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本棚の片隅に
20代の頃から何回も読み返した
神谷美恵子著作集が
並んでいます。

最近、もうひとつのBlogで
紹介するために
「生きがいについて」
読み返し、また
ときどき、彼女のことを
考えたりしています。








いつだったか、TVで彼女が残した2人の子供の1人、弟の徹さん
(京大で宇宙物理学を修めたのち、古楽器演奏家になる)が
リコーダーとユニークなストロー笛で音楽を演奏しているのを見かけて
神谷美恵子さんがどんな母親だったのか・・・想像できるような
気がして、とても楽しく、また、感慨深かったことを思い出します。

医学博士として、また語学の才能を買われて、
あっちこっちの大学でもひっぱりだこだったにも関わらず、
その心は終生、ハンセン氏病で苦しむ人たちと共にあった
といわれている神谷さんのお仕事については多くの人に
知られているので、ここでは書きません。

大学でも、受講者が900人いても必ず出席簿を読んで
生徒1人1人の名前を読むことで、1人1人と関わりをもとうと
つとめられた神谷さんが、家庭では、子供たちが喜ぶからと
複雑な模様編みなどでセーターを編んでいたと紹介されていたり、
お客様がいらっしゃると、何回も何回もお茶と茶器を変えるために
席をたった姿を知ることができて、私には興味深かったです。

神谷さんが最も愛した長島愛生園での仕事の後継者となった
高橋幸彦医師が共に働いた数少ない1人として
言葉を寄せているのも、印象的でした。

~苦悩を背負った病者を盲人にたとえるならば、先生は盲人
にとって、まさに温かい血が流れる生命のある杖のごとき存在で
誰もが、いついかなる時でも、しっかり握れる杖であった~

~先生との出会いによって、人間として、医師として、先生から
学び啓発されたことは測り知れないほど深く大きいが、凡庸の
私にはうまく表現できない。~

~人は言うかもしれない。先生は学者だ、精神科医だ、すばらしい
婦人だ、人格者だ、と。しかしそれでもなお、先生の全体像を捉えて
いるとは言えないかもしれない。~

人生で、本当の意味で深く関わることのできる人、
その人の人生を変えてしまうほどの影響を与えることのできる人
との出会いは多くはないと私は思います。

その1人に出会った幸せを言葉にできない高橋医師の言葉が
その幸せをかえって私たちに知らせてくれているのではないかと
感じさせられて、心に残ります。夫だった宣朗さんの言葉の
一部もご紹介しておきましょう。

~対外的には悩める人、病める人の側に立ち、対内的には
よき妻、よき母であろうとして、力の限りをつくした生涯であった。
愛生園には通えなくなっても、死ぬまで心は患者さん達と
結ばれていた。~ 
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by clara19 | 2008-03-18 06:30 |